カズマはパパに似たんじゃなかったんだね。おばあちゃんに似てたんだね。

日記

2019.10.16~17 日記

妻の祖母、カズマのひいおばあちゃんが特別養護老人ホームに入所しています。
少し前から容態が良くなく、昨日、今日と施設へ訪問しました。

おばあちゃんについて

おばあちゃんは私の妻の祖母(現在90歳)です。妻は20代前半で両親を亡くしており、祖父母と暮らしていました。私が妻と結婚する直前に祖父も亡くなり、その後は私と妻、おばあちゃんの3人で妻の実家に暮らしていました。 おばあちゃんは長年心臓の病気をかかえており、年齢と共に少しずつ認知機能も落ちてきた為、デイサービスやショートステイも利用していました。 やがてカズマ、ユリナが生まれ、おばあちゃんはひ孫に童謡を歌ってくれたり、手遊びをしたり、可愛がってくれました。しかし、カズマは病気になる2か月ほど前にショートステイ中に転倒し、大腿骨骨折による歩行困難となり施設入所となりました。

カズマの闘病生活に全力で寄り添えたのは、おばあちゃんが主治医から冬を越えられないと言われた2度目の冬も頑張って越えてくれたからです。おばあちゃんがひ孫のことで手一杯な孫たちに迷惑はかけられないと必死で頑張ってくれたのだと思います。

カズマが息を引き取った前日におばあちゃんは脳血管疾患を発症し、一時は意識不明になり、片麻痺重度、嚥下機能低下、座位保持困難な状態です。
そして今、口から何も食べたり飲んだりできていません。延命処置は望まないだろうという判断で入院せずに施設で過ごしています。

おばあちゃんは全て分かっていたんじゃないかと、思えてなりません。

おばあちゃんの部屋にひさしぶりに行きました。

16日訪問時

おばあちゃんの部屋に行くと部屋中に施設でのイベントの写真や家族との写真、妻の姉の家族(カズマの入院中は姉家族がずっと様子を見に来てくれていました)との写真が貼られていました。中には1枚だけカズマが写った写真もありました。私の写真はありませんでした。この一年間私はほとんどおばあちゃんのところに来たことがなかったなと思いました。

おばあちゃんは目を閉じてベッドで寝ています。右側は脱力していて、左手はベッド柵を握りしめています。
左手を擦りながら「おばあちゃん、俺だよ、ゆうちゃん(おばあちゃんが呼んでいたあだ名)だよ。しばらく来れなくてごめんね。」と話すと目を開けました。

「おばあちゃん、ありがとう。おばあちゃんが頑張ってくれたおかげで、カズマを最期まで看ることができたよ。本当にありがとう。」自然と涙が溢れました。おばあちゃんの反応はありません。

妻とユリナはカズマが東京の病院に入院しているころからおばあちゃんの様子を見に来ていていました。姉の話だと家族では唯一妻のことだけは覚えているとのことです。

ユリナもおばあちゃんの手を撫でながら「おばあちゃん!おばあちゃん!」と大声で呼びます。おばあちゃんも息を吐くときに声を出そうとしているように見えました。
ユリナは「くさ」と笑いながら言い、それでも手を離さず擦っていました。

妻や私たちでおばあちゃんに声をかけていると看護師さんが来てくれておばあちゃんの今の状態について教えてくれました。カズマの葬儀にも来てくれた看護師さんで、そのことも気遣ってくれました。

その後、管理者さんが来てくれました。

「ご子息さん大変だったみたいですね。お悔やみ申し上げます。昨晩痰の絡まりが強くなり吸引したときに血中酸素が低下し酸素流量を3リットルから5リットルに変えました。現在5リットルのままで血中酸素90台前半です。元々は血中酸素85%ほどで来ていました。現在何も飲んだり食べたりできない状態です。今後、徐々に呼吸に難がでてくると思われます。そのたびに酸素流量を上げるのではなく、自然な形で送ってあげるのはいかがでしょうか。血中酸素が低くなってくると脳内でエンドルフィンという快楽物質が出てきて苦しみをとってくれるようです。もしご家族の了承が得られるのなら、今の流量も3リットルに戻させていただきますが、いかがでしょうか。」と男泣きをしながら話してくれました。

「なるべくおばあちゃんが苦しくないようにおねがいしたいです。3リットルに下げてください。」とお願いしました。

おばあちゃんが脳血管疾患で倒れて妻が来たときも、看護師さんが「Sさんよく頑張ってくれていますよ。Sさん優しくて明るくて笑顔が素敵で…」と泣いてくれていたとのことでした。

おばあちゃん、施設の皆さんから愛されていたんだね。

おばあちゃんの部屋の壁にはたくさんのお手紙が貼られていました。

2019.10.16 看護師さんから聴診器を借りてコスモスの診察をするユリナ

17日訪問時

この日は朝から「おはよう」と声が出てスタッフさん達が驚いたとのことでした。午後にはお風呂を入れてもらったとのことでした。訪問時、妻の声掛けにすぐに目を開けるところ見られました。

「おばあちゃん、今日も来たよ。ゆうちゃんだよ。わかる?」すると、「あー」と声が出ました。

「おばあちゃん、ありがとね。がんばってくれてありがとう。おかげでカズマを看られたよ。」「あー」と返事してくれます。

ユリナも「おばあちゃん!」と声を掛け、頭や顔を撫でます。また笑いながら「くさ」と言います。それでも撫でながら「おばあちゃん!」と声を掛けています。

ユリナがウルトラマンの歌をかけて歌っているとおばあちゃんが声を出して反応します。おばあちゃんが良く歌ってくれた童謡をかけると覚醒がもっと良くなり、眼球も良く動くようになりました。しばらく童謡をかけながら声を掛けていました。

2019.10.17 おばあちゃんとユリナ

おばあちゃんへの手紙の内容がまるでカズマ宛ての様でした。

「Sさんと話すと笑顔になれて元気がもらえます」
「まだ1年しか居ないのに笑顔の写真がいっぱいですね」
「冗談を言い合うのが楽しかったよ」
「Sさんの素敵な笑顔が大好きです」
「いつも元気で明るくてその場を盛り上げてくれる」
「いつもありがとうと感謝の言葉を言ってくれました」
「Sさんみたいに他人を思いやる気持ちを私も持ちたい」
「Sさんのような優しい人間になりたい」
「こちらこそ【感謝感激雨あられ(おばあちゃんの口癖)】です」

ほとんどの手紙に「笑顔」という言葉が入っていました。そして「一緒に居ると楽しい」や「思いやり」「感謝を言ってくれた」という言葉も多かったです。

思えば、おばあちゃんは冗談を言うのが大好きで、家にいる時もよく冗談を言って家族を盛り上げてくれました。認知症になってからもそれは変わりませんでした。

「まるでカズマに寄せられたメッセージのような内容だね」と妻と話していました。

カズマはずっとパパに似ていると思っていたけど、おばあちゃん似だったね。

終わりに

おばあちゃんのがんばりでカズマを看取ることができました。ただ感謝しかないです。

これからもおばあちゃんのところに行ってありがとうを伝え続けたいと思います。

2018.7.28 大腿骨頸部骨折で入院中のおばあちゃんのお見舞い

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