人生で最も大切な時間とは

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私は生産性オタクであり、効率オタクである。

何もしないというのが苦手だ。苦手すぎる。できる限り有効に時間を使いたい。

にわとりの世話やキッチンカーの掃除、運転中などだいたいのことをしながらAudibleで本を聴いている。時間を巻くために3倍速が基本だ。

洗い物しながら勉強系YouTubeを見る。これは2倍速。はやく3倍速に対応して欲しい。

娘を寝かしつけるときも背中を掻いてあげながら読書している。

とにかく何かしながらでもインプットしていたい。

そして空いた時間は生産活動に当てる。今は本の出版のために文章を書くことが多い。
その他にも死生観のおはなし会の内容を見直したり、こどもの遊び場のイベントの周知活動、SNSの投稿、ブログの更新など色々ある。

 

休まない訳では無いし、余暇活動をしない訳では無いが、そういう活動をした後は罪悪感がどうしても残ってしまう。

マインドフルネス、瞑想をやっていた時期もある。

これも何もしていないということではなく「精神を安定させるための修行」としてやっていた。
そしていつの間にかやめてしまった。

 

何の意味もない時間はロスでしかないと思っていた。が、最近読んだ本で考えが変わった。

この本はいわゆる時間管理のビジネス本ではない。時間術という各論ではなく概論を語っている。

効率を上げ、タスクを如何に早く処理したところで、その空いた隙間にはまた別のタスクが入り込む。

タスク、やらなければならないことをやり切ることはないのだという。

確かにそう思える。

作者は「何のためにもならない時間」が人生でとても大切だと語る。

それはいわゆる休暇でもない。休暇は体を休める「ため」の時間だからだ。

何かのためにやる時間は未来のためにやっている時間であり、今を生きていない。

何のためにもならない時間こそ今を生きている時間なのだ。

 

趣味の山登りやサイクリングの時間、アニメを見ている時間、小説を読んでいる時間、焚き火を眺めている時間、家族を抱きしめている時間、これらは私にとっては何のためにもならない時間だ。

何のためにもならなくてもやりたいことこそ、真に好きなことなのだと思う。

 

養老孟司さんや成田悠輔さんが「人生に効率を求めるならすぐ死ぬのが一番効率が良い」と言っていた。

人生には生産性や効率を求めてはいけないのだ。

でも私は効率や生産性を求めることが好きなのだ。

仕事やタスクにはこれまで通り効率や生産性を求め続け、空いた時間の使い方は何のためにもならない時間を積極的に作っていきたいと思う。

 

そう妻に言ったところ、「ほとんどの人間は何のためにもならない時間をやって過ごしてるよ。ダラダラSNS見たり、テレビ見たり。」と言われた。

果たして本当にそうなのだろうか。ストレス解消のためにやっているのではないか。

私も以前は月曜から金曜日の働いた疲労とストレスを解消するために週末お酒をがぶ飲みしたり、パチンコ・スロット・麻雀をやっていた。
今はしていない。ストレスを解消する必要がないからだ。

 

上で挙げた私の「何のためにもならない時間」についても、何かのためにやっていれば話は違ってくるのではないか。

例えば、体力をつけるために山登りをする、文章力をつけるために小説を読む、日々の疲れを癒やすために焚き火を眺める、など。

何のためにもならなくてもやりたくてやるけど、結果として、副産物として体力がつく、文章力がつく、疲れが癒されるということと、

副産物ではなく、「何かのために」が主目的となっている場合とでは明らかに違いがある。

後者は「今を生きる時間」にはならない感覚があることが分かる。

「好きなことを仕事にする」に落とし穴があるのはこれではないか。

お金のために好きなことをやってみたら真に楽しめなくなる人も出てくるのだと思う。

キャンプが大好きだったけど、YouTubeにアップするために撮影に時間を取られ本来のキャンプが楽しめないというのは容易に想像できる。YouTuberも好きなことしてお金を稼いでいるように見えるが決して楽ではないだろう。

 

こどもの遊び場をやっていて、こどもたちを見ていると何かのためにやっている時間は殆どないのではないかと思う。

単純にその活動を楽しんでやっている。その副産物で成長していけたら素晴らしい。

それが通常の学校のお勉強と、体験型学習の違いでもあるのではないか。

 

人生は驚くほど短い。色々と考えるきっかけをくれる良書である。ぜひ読んでみて欲しい。

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