2021.12.9「これからの生き方と地域デザイン 幸せって何?」というテーマでトークセッションをさせていただきました。(アイキャッチ画像は関係ありません。父が幸せそうな顔してたので採用しました。)
今回はそのご報告とまとめを記事にしました。
うまく喋れなかったところも多々あり恥ずかしかったので、せめて文面で補足しようという魂胆です(補足できていないかも知れませんが。むしろさらに傷を深めてるかも)。
もし時間がありましたら、コーディネーターの堀越さんのインスタグラムにトークセッションのはじめから最後までのアーカイブがありますので、良かったら見てください。
参加者たち
コーディネーターはこのお二人
堀越啓仁さん
天台宗僧侶であり作業療法士。
前衆議院議員。(「前ということは今回の衆議院議員選挙で落ちたということ。」という自虐から自己紹介が始まりました笑)
今回のトークセッションの発起人の一人。
私が作業療法士の養成校に行っていた時に実習でスーパーバイザーをしてくれたのが出会いのきっかけで恩師であります。
その後、私は学校卒業後にその病院へ就職しました。堀越さんは当時作業療法科の主任でした。
就職当時からかわいがっていただき、堀越家にはしょっちゅう遊びに行っていました。
仕事終わりで堀越さんより先に堀越家に帰り、シャワーを浴びてビールを先に始めているという礼儀を知らない後輩でした(堀越夫婦の懐の深さがわかりますね)。
当時より、堀越さんやそのお仲間たちには色々なことを教えていただきました。リハのことはあまり覚えていません(笑)が、「食」、「社会」、「自然」などについて教えていただいたことは今も私の根底に流れています。
衆議院議員として環境問題やアニマルウェルフェア、子どもの支援について取り組まれてきていてそのお話もとても興味深くいつも聞かせていただいています。
今回のトークセッションのテーマでもある「幸せ」を考える上で「死」を考えることもとてもキーになってきていて、作業療法士として病院や自宅で、また僧侶としてお葬式で多くの方の最期を見送ってきた経験値から話される言葉は重さが違いました。
「『死』について話すことはタブー」という風潮を変えたいという気持ちを訴えられており、私も100%同意するところでした。
今回、堀越さん主催のトークセッションということで大きく緊張もせずに参加できました。
堀越さんのインスタグラムはこちら
富所哲平さん
ぐんま住みます芸人「アンカンミンカン」のお一方。
今回はじめましてでしたが、ラジオやテレビで見たとおりの気さくで人当たりの良いお方でした。
SDGsの講演などの活動をされており、色んな方へインタビューしている経験や、群馬の各地の取り組みなど色々なことを知っていて、トークセッションの中でも事例をたくさん話してくださるのでとても分かりやすかったです。
映画「Sow」の話は行き過ぎでしたが笑
富所さんのインスタグラムはこちら
堀越さん、富所さん、お二人のコーディネート力が素晴らしすぎてトークセッションという形になったのだと実感しています。
さすが芸人さん、トーク力すごい。聴く力もすごかったです。
スピーカーはこの3人
吉田恵美子さん
NPO法人ソーシャルグッド代表理事
地域のコミュニケーションリビング Renga運営
20歳、5歳、4歳のママ
スポーツトレーナーのご主人と一緒にNPO法人ソーシャルグッドを立ち上げられ、「群馬を笑顔と元気でもっとGOODに!」を理念に、子どもやシニア向けの運動教室などを運営されています(私も娘もお世話になっております)。
また、「地域のつながりが大切」と考えて自宅の一階でRengaというコミュニケーションスペースをされています。
そこでは主にママ向けの講座が多いようで、料理講座だったり子育てのお話会だったりヨガだったり先生を呼んでされているようです。
また、高齢者のサロンの運営もされているとのことで、女性目線や高齢者目線での幸せについて語っておられました。
中でも良好なコミュニケーションの場が作れている要因として「お互いを褒め合う」というのを話されていて、これは具体的に実践することができることだなと思いました。
参加者が敵ではなく「仲間」だと意識するのにとても良い方法だなと思いました。
吉田さんのインスタグラムはこちら
Rengaのインスタグラムはこちら
真塩敦士さん
認定NPO法人じゃんけんぽん所属の作業療法士。
今回のイベントの発起人。
真塩さんが堀越さんに相談したところからこのイベントが始まりました。
私も所属している群馬県作業療法士会で一緒に活動している仲間で、そこでは地域で作業療法士がどうお役に立てるかを中心に考えています。
じゃんけんぽんでは所有している畑を使って「つながる農園」という地域の方が世代を超えて交流できる畑を運営しています。種まきや定植・収穫といった農作業を体験できるイベントを月に1回ほどの頻度で開催していて、私達家族も度々参加させてもらってます(今度、私がやっているヤマアソビKIDSCLUBとつながる農園のコラボイベントを1月に開催予定ですので乞うご期待!)。
そんな真塩さんは現場の作業療法士ならではのジレンマを抱えていました。
患者さん、利用者さんの幸せに寄与しないといけないのが作業療法士で、患者さんが幸せになってほしくてリハビリを頑張っていますが、でも「幸せ」って何なんだろう。
お箸が持てるようになったら幸せなのか?ダイフクが食べられたら幸せなのか?
そんな疑問からこのトークセッションは企画されたのでした。
真塩さん的には、5人くらいで作業療法士で集まって、悩みを打ち明けながら「でもおれらがんばってるよね!」とお酒を酌み交わす会を想像していたら、あれよあれよとこんなに大きな会になってしまったとのことでした。
それだけみんな気になるテーマということだと思います。
真塩さんのおかげで素敵な会が催されました。ありがとうございます!
あと、私を入れた3名がスピーカーとして登壇しました。
言えたこと、言いたりなかったこと、言いそびれたこと
幸せを脳内ホルモンで分類しよう
今回のテーマである「幸せって何?」の答えは一つじゃないとみんな思っていると思います。
わたしもそう思っています。
でも、種類分けができるととある書籍を読んで学びました。その本はこちら。
この本で言っていることを軽くまとめますと、幸せを大きく3つに分類しています。
「さわやかな風だな」「気持ちのいい天気」「心地いい」などを感じる、健康的な幸せがセロトニン的な幸せです。
人が人と触れ合ったり、コミュニケーションを取ったり、愛し合ったりするときに感じる幸せはオキシトシン的な幸せです。
「独立して社長になった」というような分かりやすい成功とか、お酒を飲んだりゲームにハマったり「もっともっと」という欲が満たされるときがドーパミン的な幸せです。
多くの人が幸せを思い描く時にはこのドーパミン的な幸せを思うようです。
この3つの幸せは順番がとても大事で、「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」という順番が大事とのことです。
ドーパミン的な幸せばかりを追ってしまうと、いつまでたっても幸せを感じられず、また成功までの道中が不幸せに感じてしまうとのことでした。
また、ドーパミン的な幸せはすぐに減じてしまうのに対し、セロトニン、オキシトシン的な幸せは減じないまたは減じにくいとのことです。
カズマは幸せだったのか
私が闘病記録を書いている中で、カズマとの最期を幸せという言葉で締めくくっていることに対して、「幸せなわけないだろ」というご意見をいただくことがたまにあります。
私はカズマと約4年9か月一緒に居れた期間は幸せでした。
最期、私たち夫婦の腕の中で看取った時も愛情であふれていたと思います。確かに幸せと感じました。
ではカズマは幸せだったのか。私はカズマも幸せを感じてくれていたと信じています。
「幸せなわけないだろ」というご意見をくださる人の幸せは「いろいろなことを経験する未来」を指しているのだと思います。
小学校に上がって、友達ができて、恋人ができて、大学に行って、就職して、結婚して、子どもができて、、、という未来は確かに閉ざされてしまいました。
でも、この未来はドーパミン的な幸せを指しているのではないかなと思います。
私はカズマが病気になったことでずっと付き添えるようになったとき、「こんなに毎日ずーっと大好きなカズマと一緒に居られるなんて、なんて幸せなんだろう。」とふと思った時があります。
このオキシトシン的な幸せをカズマも感じてくれていたんじゃないかなと思っています。
「死」について(トークセッションではあまり話せなかったテーマ)
また、「死」を絶対に避けなければならない絶対悪なこととしてとらえている人がやっぱり多いのだと思います。
でも、全員死にます。絶対に避けられません。
死ぬ間際の大病をした人や身近な人が亡くなった人は「死」を自分事としてとらえることができ、そこから人生をよりよく生きることができたというケースはたくさんあります。
多くの成功者と言われる人がこの経験をされていたりします。
「死」は絶対悪だから、考えないでおくというのは良くないと思います。
死を避け続ければ幸せなのでしょうか?
人生の良し悪しを寿命の長さで判断する人はそういう考えになるのではないかなと思います。
いつ死が来てもいいように積極的に「今を生きる」という姿勢こそが死を悪として捉えない生き方じゃないかなと思っています。
子どもたちを見ているとこれを素直にできているなと感じます。
いつからか未来ばかり見て不安を感じて今をおろそかにするようになってしまう。
何かにつけて「将来の為」と勉強や習い事をさせられることが多い今の教育の在り方の問題が大きいんじゃないかなと思います。
大事な人とは必ずいつかお別れします。それは明日かもしれません。
突然その時が来てもいいように普段から感謝や愛する気持ちを言葉にすることが大切だと思います。
カズマもちゃんと亡くなる2日前にいとこ達と妹にひとりひとり「大好きだよ」を伝えられていました。
ユリナにも事あるごとに「いつか死ぬんだよ。パパが先かユリナが先かは分からないけど。カズマも死んじゃったでしょ?」と伝えています。
そのおかげかどうか分かりませんが「大好き」「ありがとう」「幸せ」と言葉にすることができる子だなと感じています。
闘病記録を発信してきて
闘病体験を読んでいただく感想に「子どもと一緒に家で普通に生活できるって本当に幸せなことなのだと気づかせていただきました。これからは家族を大事に幸せを感じて生きていきます。」というような内容のものがかなり多くあります。
その様な感想をいただくと「カズマがお役に立てた」と素直に嬉しいです。
でも、「普通の生活って幸せだった」ということを感じるということは、逆説的に「病気になっちゃった子ども達は幸せではない」「かわいそうな存在」と捉えられがちですが、それは違います。
病院に付き添い入院していて感じたのは、「子どもは親より強くたくましい」ということです。
カズマの入院していた国立がん研究センターでは小学生以上(子どもによっては5歳以上)には自分の体の状態について説明するとのことでした。
国立がん研究センターは通称「最後の砦」病院です。日本中から「難治性」とか「リスクが高い群」という理由から地元の病院では見きれなくなり転院してきます。
そんな、病気の中でもさらに重症度の高い子どもたちが十数人生活していますが、みんなとっても明るいです。今を楽しんで生きています。
もちろん辛い治療があったり、病状に波があって辛い時もありますが、そういう時は同じ病棟の友達が察して、声を掛け合ったり、あえて声をかけなかったりして助け合っています。
年齢も様々なので自然とお兄ちゃんお姉ちゃんが年下の子を気遣ったりしてくれます。
カズマもたくさんのお兄ちゃんお姉ちゃんに遊んでもらって、本当に楽しそうでした。
みんなが仲間という感覚なのか、私が通っていたころの普通の学校よりもみんな仲良しで、オキシトシン的な幸せはむしろ普通の子たちより多く感じているように思えました。
その子どもたちの明るさに何度も勇気をもらいました。
余命宣告を告げられた先生との話し合いの後、まだ治ると信じて病気と立ち向かえたのも子どもたちの笑顔があったからです。
一生懸命、全身全霊で今を生きてるなと感じました。そこに幸せもあったと思います。かわいそうな存在では決してありませんでした。
また、人伝で看護師さんから聞いた話ですが、「小学生まで(特に低学年)の子はちゃんとママやパパにありがとうが言えて、きょうだいのことをお願いしたり、ちゃんとお別れして旅立っていける。中学生を過ぎるとなかなか難しい」とのことでした。
小学生の低学年までは特に「死」を恐れずに受け入れることができるとのことです。
これも今だけを見て生きてるからできることじゃないでしょうか。中学生を超えるとこの先の未来が失われることを想像してしまうのではないかなと思います。
トークセッションが終わり、最後に会場から「病気でも幸せを感じられる。生きてるってこと自体が幸せだと思いました」というとっても嬉しいご意見をいただきました。本当にその通りだと思いました。
感想
とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。
終了後もたくさんの方からお声掛けいただき、ヤマアソビKIDSCLUBのボランティアをしたいと言ってくださる方が4名もおられました。感謝でいっぱいです。
このようなトークセッションはやってみてとてもいいなと感じました。
またあったら参加したい気持ちです。
会場の他の参加者さんも絶対話に混じりたい人居たと思います。
もっとざっくばらんに「あなたにとっての幸せって何?」という問いに手を挙げてもらう感じでもよさそうだなと感じました。
今回はもう一つ地域デザインについて考えるというテーマもありました。
幸せだけでいっぱいになってしまい、そのことを載せられずすみません。
トークセッションではそのテーマについても話していますのでアーカイブを見てみてください。
私は地域・社会について話したときはこの本を参考に話をした記憶があります。
ユリナにも幸せって何を聞いてみました
ユリナに幸せって何?と聴いたら「ハンモック」と答えました。(セロトニン的な幸せ)
今日の夕ご飯の後、デザートのヨーグルトをおいしそうに食べていた娘に「おいしそうだね。幸せ?(ドーパミン的な幸せ)」と聴いたら「幸せだけど、家族の方がもっと幸せ」と言いました(オキシトシン的な幸せ)。
ドーパミン的な幸せよりセロトニン的やオキシトシン的な幸せの方が大事なことを知っているようです。
コメント