全員で同じことを言う「門出の言葉」はいらない

日記

この記事はあげるかどうか本当に悩みました。

気分を害する人がいるかも知れないので。

これは個人の感想でしかなく、娘がお世話になった保育園を批判する気持ちは全くありません。
たぶんこのことは他の保育園や小学校でも当たり前に行われていることで、私の考えが歪んでいるのかもしれないです。
なので、これはあくまで個人の感想であり、たくさんお世話になったそしてこれからもお世話になる保育園には感謝でいっぱいであることをはじめに伝えさせてください

24日金曜日、娘優里南の保育園の卒園式でした。

その中の一幕のことをお話します。

「ぼくたち、わたしたちは、保育園を卒業します」

自分も小学校のときに経験しましたが、「ぼくたち、わたしたちは、、」という全員で声を合わせて在校生や先生、保護者に向かって学校生活の思い出と感謝を伝える例のアレです。
「門出の言葉」というらしいです。

娘が通った保育園でもありました。

内容は同じような感じで思い出と感謝でした。

この文章は自分たちで考えてないだろうなと瞬間的に感じてしまい、そこから引いた目で見てしまいました。

みんなの表情も能面みたいな感情がない顔をしている子が多く、うちの優里南も目が細く一直線になっていました。

もともと、イベントごとの最中は俯瞰して見てしまうために泣けない私ですが、ここの部分はそういう以前にひいてしまった自分がいました。

家で優里南に確認

その部分はどうやって文章を作ったのか帰ってきてから優里南に聞いてみました。

ユリナ
優里南

「文は先生が教えてくれたよ。自分たちで考えたところは男の子と女の子に分かれて保育園生活で何ができるようになったかをみんなで出し合って決めたところ。男の子は跳び箱7段、女の子は三点倒立にきまったよ。先生からは全員ができることにしてねって言ってた。」

とのことでした。

やっぱり、ほぼ先生が考えた文章で自分たちで考えていませんでした。
私は「自分の気持を言葉にして発信する」ってとても大切だと思うのですが、これだと真逆のことをやっているなと思いました。

そして「全員ができること」を考えさせて発表させたということです。これについてもとても問題があるなと感じました。

全員ができること

こちらの園長先生はとても良い方で尊敬しています。そのうえで気になることを伝えさせていただくと、式典のたびに必ず同じ内容のお話をします。

それは「こどもたちにできない子なんて一人もいません。できる速さに差はあるけど必ず全員できます」ということです。

はじめの頃はこのことを聞いても違和感なく聞けていたのですが、最近はすごく違和感があります。

できないことって素晴らしい

なぜ違和感があるかというと、できないことがまるで良くないことのように受け取ってしまう人が増えてしまうのではないかと思うからです。

できなくたって良い。むしろできないことがあるって素晴らしいと思うのです。

人はできないことがあって、それを補い合うから職業ができ、社会ができるんだと思います。

優里南には式典の度に「できなくたって良いんだよ。できないことがあったら周りに頼ろう。」と話しています。

頼られたら助けてあげる

自分から人に頼ることが当たり前にできないと、人から頼られたときに見返りを求めることなく助けてあげることができないと思うのです。

インドのことわざにこんな言葉があります。

「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」

これと一緒です。

できないことは人に頼ろう。頼られたら見返りを求めることなく助けよう。

なので「全員ができる」って全然素晴らしいことじゃないと思うのです。
それを目指す姿勢って競争社会を助長しそうで好きになれないのです。

競争は良いことじゃないかという意見もあるでしょうが、社会は競争じゃなく共創することのほうが多いと思うのです。

学校のテストは競争ですが、社会人になったらチームで協力して仕事をこなします。
企業は「競争力」と「協力力」のある人、どちらを採用したいでしょうか。

たとえ社長だとしても、他社との競争よりも、他社との協力の方が何十倍も大切だと思います。

協力なくして社会は成立しない。
それならば「できないこと」というのはとても素晴らしいに行き着くと思うのです。

全員ができることの話し合い

かなり脱線しましたが、クラスでのこどもたちの話し合いに焦点を戻すと、

全員ができることの話し合いをこどもたちがしていることを想像するとこれまた違和感があります。

全員ができること=誰か一人でもできないとだめ

という構図になるので、話し合いの方向性としては一番運動ができない子に焦点が当たります。

その子が跳び箱だったら7段まで飛べたから「全員跳び箱が7段飛べました」と発表したわけです。

その子の気持ちはどんな気持ちだったかは聞いてないからわかりませんが、私は想像するとネガティブな印象を受けてしまいます。

門出の言葉はこども達のためにやっていること?親のため?

こどもたちみんなでたくさん練習した門出の言葉をひねくれて聞いてしまった自分について吐き出させていただきました。

気分を害された方はすみません。

ただ、色々な小学校や幼稚園で行われているこの「門出の言葉」はこども達のためにやっていることでしょうか?
親のためにこどもたちにたくさん練習してもらい時間を割いてやっていることのように感じてしまいました。

コロナ渦になり、同調圧力に屈し自分で考えて判断するということが日本人は海外に比べて本当に弱いのだなと実感しています。

もともと島国で村八分にされると生きづらかったことの名残だとは思いますが、

「周りがそうしてるから」

で思考停止してしまうことはとても残念に思うのです。

娘たちには自分の気持ちに正直に、自分で考えて判断して行動する子に育ってほしい。

全員で同じことを言う門出の言葉はいらない。自分の気持ちを話せばいい。

そう思いました。

読んでいただきありがとうございました。

P.S. 優里南に保育園の感想を聞いてみました。

「えー、楽しかった。ともだちもたくさんできたし、字を書いたり計算したりが楽しかった」
「ちょっと今ヘアアイロンかけてるから後で良い?」

とのことでした。おしまい。

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