2020.6.1日記
担当していた利用者様の最期
リハビリを担当している利用者さま(Aさん)が先々月亡くなりました。
末期がんでした。
もう長くないことは医師からご本人にも伝えられていましたが、Aさんは治ると信じていました。奥様が何度も現状について話そうとしても聞く耳を持ちませんでした。
病院では仕事にならないという理由で自宅療養することになり、訪問看護ステーションで介入する運びになり、私もリハビリの担当として訪問していました。自宅に帰ってきてからも治療を諦めることなく、通院にて抗がん剤治療を行っていました。
自宅に訪問に伺うとほぼベッドに寝たきり状態でした。起き上がると血圧が低下するところもみられ、仕事はベッド上で主に電話でされていました。
「自宅はどうですか?」と聴くと「やっぱり良いね。自由だ。」と話されていました。でも「仕事が片付いたらまた病院に戻って治療だ。」とも話されていました。
この時すでに食べられなくなって2ヶ月ほど。水も飲むと戻してしまうため服薬時に少し飲む程度で、基本的に点滴で栄養している状態でした。
Aさんは奥様と言い合いが絶えず、訪問時は必ずと言っていいほど口論をしていました。仕事がうまくいっていないことも原因だったのかもしれません。
ご本人は治ると信じている。奥様も主治医も現状について伝えることを難しいと判断されている。
ある訪問時に「仕事はどうですか?」と聴くと「まああらかた終わったね」とのことでしたので「病院に戻られますか?」と聴きました。「やっぱり家が良いね。もう少し状態が悪くなったら戻るかな。」とのことでした。
「具体的にどうなったらというのがありますか?」と聴くと「うーん、、まあまだ家に居たいな。」と話されていました。
この時、「Aさんは自分のことを全部わかっていて、できる限り家に居たいけど、最期のときは家で亡くなると妻に迷惑がかかるから救急車で病院で亡くなろうと思っているんじゃないかな」とそんな思いが頭の中をよぎりました。
治療に専念している方が周りが気を使わなくて済む。全部は妻のため、家族のための姿勢なんじゃないのか。と。
最期の時、自宅で意識消失し、看護師が駆けつけた時、「もう少しだけ」と救急搬送することを拒みました。そして、次の日救急搬送になり、病院で息を引き取られました。
おそらくですが、「お別れの挨拶」はできていなかったのではと思います。
前日まで奥様とはいつもの口論をされていたでしょう。
でも、Aさんは全部わかってて、望み通りになったのではないかとも思います。
私はカズマの話をAさんにしようかと思ったことがあります。
(おこがましいことかもしれませんが、)奥様や息子様と最期に「ありがとう」と伝え合えるためのお手伝いができないかと思いました。
そして、そのためにはどうしたらよいかと考えた時、カズマがいとこたちや妹に大好きだよとお別れの挨拶ができたことを伝えようかと悩み、やめました。
Aさんが治ると心から信じている可能性ももちろんありましたし、本当に奇跡が起きて治るかもしれないですし。そんな状態でさすがにこの話はできないと判断しました。
私は、カズマを看取ったことで、また萬田先生の本(一番下にリンクを貼っておきます)を読んで、自宅で家族にありがとうと大好きを言って、自分の人生を肯定して逝けることが本人にとって大成功の最期になると思っています。
でも、それを押し売りしてはいけないと思いました(情報としてこんな最期の迎え方もあることをお伝えすることは大切だと思いますが)。
その人にとっての最期の望みがあると思います。
Aさんは最期は病室で旅立ちましたが、思い通りになって幸せだったかもしれません。
Aさんから大切なことを教えていただきました。
Aさん短い間でしたがありがとうございました。どうか安らかに。
先日弔問に行ってきました。
奥様は夜は眠れず、食は細ったとのことで、痩せていらっしゃいました。
目に涙を浮かべながら思い出話をしてくださいました。
これから長い「喪の仕事」に入られるのだと思います。「お互い喪の仕事がんばりましょう」と心のなかでお伝えしました。
※以下、萬田先生の本のリンクです
自宅で最期まで生ききった人達の事例集のような一冊です。涙なしに読めません。↓
自分(や大切な人)の人生の締めくくりを大切に考えるならぜひ読んでもらいたい一冊です。このような選択があるのかということを教えてくれます。↓
現役医師が現在行われているがん治療について語っています。ただ生きるのではなく「より良く生きること」に主眼を置くと、がん治療はこのようになるのかと読み進めていて驚きの連続でした。私もこの治療法を選択したいです。そして最期はがんになりたい。↓
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