◯◯を食べる

日記

「一度きりのいつ終わるか分からない人生をどう生きるか」

私はこの問いを忘れずに生きている。

この問いを頭に置いておくと、あらゆることにポジティブになれ、行動できるようになる。当たり前じゃないこの生活を構成する周囲にも感謝できる。

そして、人生において大事な選択の機会にあったときにも、この問いをかけあわせて考えることで見えてくるものがある。

今回はあるものを食べることについて考えてみたいと思う。

はじめに(注意喚起)

あるもの、それは💩だ。

みなさんは💩を食べたことはあるだろうか。
私はまだない。高校のテスト中に漏らしたことはあっても食べたことはない。

一度、立ち止まって考えてみてほしい。
💩を食べる必要があるかについて。

私は食べたいと思う。
一度きりのいつ終わるかわからない人生が終わる前に、なるべく多くのことを経験したい。
多くの方が経験したことがないことは特に惹かれるものがある。

「経験しなければ真に知ったことにはならない」というのが私の信条である。
知識欲旺盛な私としては💩の味も食感もその後の体調がどうなるかもネット上の情報だけではなく、本当の意味で「知りたい」のだ。

また、私はこどもの遊び場を運営している。
「おれ、💩食べたことがあるぜ」
という発言はこどもたちを虜にすること間違いなしだ。目をキラキラさせて色々な質問をしてくるだろう。

そう考えると💩を食べるメリットはかなり大きい。

だがまだ勇気が持てない。想像するだけで吐き気がする。おえ。

そこで、山登りの帰りに小学校一年生の娘と、一緒に登ってくれた小学校二年生のお子さんとこの「💩を食べる」ということを題材に二時間対話した。
純粋無垢なこどもたちの考えや突拍子もないアイデア、そこからヒントを得たかったのである。
頂上からの帰りで話をしたのだが、休憩を忘れるほどに白熱し、結局休憩を一度も取らずに歩き通した。

ここまで読んでいただいて、お気づきの方も多いと思うが、多くの方にとってこの記事に全くの生産性はない。
今すぐブラウザバックすべきである。
あなたの人生もまた、一度きりのいつ終わるか分からない人生である。
人生は有限であり、自分に残された時間は決して増えない。
こんな長文を読んでいる時間がもったいない。とっとと帰ってください。

これは私が現在作成中の本の原稿が仕上がって舞い上がって書いているのに過ぎない。(自分で言うのもなんですがめちゃくちゃ良い内容に仕上がっているのでぜひ買ってください。💩は出てきません。)

Instagramのストーリーズでアンケートをとったところ、💩の話を聞きたいというイカれた方が37名も居た。
変態である。

ここからはその変態とアンケートには答えていない隠れ変態に向けて記事を書き進める。

※グロ注意!「聞きたくない」と真っ当な票を投じてくれた5名の非公開アカウントの方、また気分を害されたくない方は決してこれ以上は読まないでください(真っ当な方は全員非公開アカウント説浮上)

さて、退出が済んだところで、本題に入る。
こどもたちとの対話を思い出しながら修正を加えて披露する。

どんな味なら食べられるか

💩を食べるメリットについてご理解いただけたかと思う。

ではどうしたらあんな気色の悪い臭いものを食べられるのか。おえ。

ここでこどもたちから出たのは「味」についての視点である。

当然気になってくるところだ。

味を整えることができるなら食べようがあるかもしれない。

ここで誰もが出会い苦悩した挙げ句に答えが出なかった問が頭をよぎる。

そう。

「💩味のカレーか、カレー味の💩。どっち食べる?」

というやつだ。これに関してはすでに私の立場から言えば即答できる。

答えはそう、

ーーーーーーーここからは有料記事になりますーーーーーーーー

うそです。

答えは

「どっちも食べる」

即答だ。

順番から言えば💩味のカレーからか。

カレーなのに、知りたかった💩の味が知れるというのはでかい。

ぜひ開発してもらいたい。開発するためには💩味を解明しなければならないので私が作ることになるかもしれない。

次にカレー味の💩を食べる。これにより💩を食べた!という実績が得られる。

ただ、考えてみてほしい。結局両方食べるなら💩味の💩を食べているという現実を。

この問い自体は実際に物があるわけではなくただの思考実験なのだが、この問いのお陰でわかった。

結局は💩を食べるしかないということである。

どんな匂いなら食べられるか

次は匂いについてが議題に上がった。

匂いは気になるところである。あの香ばしいかおりが口の中に広がるところを想像してほしい。おえ。

「いろんな匂いの時があるよね」

そうなのだ。食べたものによって匂いは変化する。
焼肉の後などは屁も💩もめちゃくちゃ臭い。

「絶対味も変化してるよね」

そうに違いない。💩味のカレーを作るためには一度食べただけでは作れない可能性がある。

勝手な予想が飛び交う。

「臭い💩は絶対味が濃いよね」

「逆に臭くない💩は薄そう」

たしかにそんな気はする。はじめて食べるなら臭くない💩で決定だ。

「絃羽の💩で試してみようよ!毎日採れるし!」

自分の💩だって毎日採れるだろう。それができないから話し合っているのである。

ここで新たな議題が浮かび上がる。

誰のなら食べられるか

まだ💩を食べられる心境になっていないので「誰のでも食べられない」が正解なのだが、誰の💩なら食べられそうかというのは考えておいて損はない。

元々食べられないが前提なのだから、この💩は避けたいという視点で話し合いが進んでいった。

「知らないおじさんの💩はやだなあ」

こどもたちはどっちも女の子であるが、この際性別は関係ないと思う。

満場一致でこの感覚は正しいという思いであった。

男でもおっさんの💩は食べたくない。おえ。

「反対にきれいな女の人は?」

、、、という意見は出ずになんとか大人たちは胸をなでおろした。

この流れは絶対に避けたい。

これは大人だけで対話していたら終結し、人によっては(特に男性の変態にとっては)これ以上ない解になったであろう問いである。

この議題の話し合いの結末としては

「自分の💩がいい」

に落ち着いたのである。

ここで脇から次の問が出てくる。(話を振らなくてもめっちゃ盛り上がる。💩好きすぎだろ。)

動物のはだめなのか

「人間の💩じゃなきゃだめ?」

これは発想になかった。人間の💩としか考えてなかった。

世界で最もどうでもいい固定観念が壊された瞬間だった。

「良いかも!」

「草食動物なら食べられそうじゃない?うさぎとか!」

「コロコロしてるし、臭くないし!」

「確かに!」

確かにそうなのだが、釈然としない。それはなぜか。

ハードルが下がった感があり、盛り上がりにかけるのだ。

ただ、この道筋にゴールがあったのである。

次が最後の項となる。

一番大事だったのは、、、

「うさぎの💩では盛り上がりにかける」

ここに行き着いたことがこの対話の成果だったと筆者は振り返る。

実際にうさぎの💩を食べる場面に出くわしたとき、それでも人は盛り上がるとは思う。
いくらうさぎでも💩は💩だ。

「うえー!きったねー!」
「ぎゃー!マジで食いやがった!」
「どんな味?ねえどんな味?」

こどもたちの食いつきが目に浮かぶ。ヒーロー確定である。

つまり、最大のメリットである「ヒーロー感」「すごい人」「面白い人」が享受できる環境が必要だったのだ。

これだけのことをするのだから、最大限ウケをいただきたいのだ。

いくら皿にきれいに盛り付けて、塩コショウで味を整えても、一人で食べるのでは意味がないのである。

考えるべきは💩のクオリティではなく、食べるシチュエーションにあったのだ。

結論

💩を食べるには、、、

絶対にウケる環境を作る!

これが2時間の対話の中で生まれた帰結である。

最大限にウケをいただくためには、むしろ途中まで絶対に避けたかった「焼肉を食した後の知らないおっさんの💩」が望ましい。

観客も相当数欲しいところである。

誰か、環境を作ってくれたら青木食べます!おえぇぇぇぇぇぇぇええええ

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