先日訪問看護協会さんの小児医療の研修会に講師として呼んでいただき研修をさせていただきました。
主題は「家族の逝き方と自分の生き方」
1時間半の講義とその後グループに分かれての感想シェアが行われ、最後にグループの代表が発表しました。
その中で聞かれたのが
「ご家族へどのような声掛けをしたら良いか」
「自宅での看取りを勧めるのは看護師のエゴではないか」
「言葉選びが難しい」
という訪問看護師としてのご本人・ご家族とのコミュニケーションについてのご意見が多く聞かれました。
死生観に答えはありません。
人それぞれのものだからこそ、なんて声掛けをしたら良いのか悩むんだと思います。
延命措置をするのか、しないのか。
家で亡くなる希望があるのか、病院を選択するのか。
1分1秒長く生きることを目標にするのか、人間としての尊厳を大切にするのか。
青木は息子との死別を通して自分なりの死生観を得ました。
今後も変化はあるでしょうが、現状の死生観は確立していると思っています。
リハビリ職員として訪問看護に勤務している中でご自宅で看取る方のリハビリに行くこともあります。
息子の生前と死後で変わったことは、自分なりの死生観をご本人、ご家族へ伝えることができるようになったことです。
死生観に正解はない。答えはない。
だからこそ、自分なりの死生観をお伝えすることが大切だと思うのです。
「家で亡くなるほうが幸せですよ。家に帰してあげましょうよ。」
なんていう言い方はもちろんしません。
息子との経験を伝えます。
息子は前日にひとりひとりに大好きだよと挨拶できたこと。
意識があるうちに「パパとママの間に生まれてくれてありがとう」と伝えられなかったことを後悔してること。
意識がなくなってから、ありがとう、大好きだよって伝えながら腕の中で旅立って行ったこと。
そして、今、自宅で看取れて本当に良かったと思っていること。
それを伝えます。
104歳のご老人が家で亡くなりゆく時、この話をしたらずっと尽くしてきたお嫁様は「ありがとうございました」とご老人に伝えたとのことです。
すると、ずっと顎で嫁を使ってきたこのご老人はお嫁様に「今までごめんな。たくさん世話になったな。ありがとう。」と伝えたそうです。
弔問したときに「青木さんのおかげだよ」と息子さんが教えてくれました。このことはきっと生涯忘れません。
正解が無いこと、人それぞれの価値観だからこそ、自分の言葉で自分はどう考えているか伝えることはとても大切だと思うのです。
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